神韵浪遊記

9月26日

 四国の八幡浜にフェリーが着いたのが深夜2時すぎ。朝までフェリーの上で休ませてくれると思い込んでいたのですが、船内アナウンスにせかされて降ろされてしまいました。周囲を徘徊しましたが、あまり寝られそうな場所がなく、駅の待合室で始発まで休むことにしました。
 
電車を使い6時過ごろ内子に到着。そこから歩いて44番の大宝寺を目指しました。地図から目測で夕方6時くらいにはたどり着けるかと思っていたのですが、実際は予定をかなりオーバーしてしまいました。途中、直売所でナシをもらったり、ゲタ職人さんにサイダーをいただいたりしました。四国を歩いているとこういった人との触れ合いがいいんですよね。もらうだけですが。。。

 44番札所大宝寺に着いたとき、すでに夜の8時を過ぎていました。参道は暗くて足下もよく見えません。橋を渡って川の音を聞き、仁王門までたどり着きました。この時間ですとお寺さんの方でも対応してもらえないでしょうから、その日はこの屋根の下で寝ることにしました。
 二胡を取り出し、敷居に座ります。高い木のすき間から月が見えますが、門の下までは照らしてくれません。拉きはじめから、なんとなく音がずれているような気がしました。この日は相当疲れていました。

 一日中歩いて、そろそろ到着かなと思うころにはすでに暗くなっていました。集落内で歩いているおばちゃんに道を尋ねました。どこから歩いてきたの? 内子から一日かけてきました。まあ、恐ろしい! 恐ろしい事らしいです。(苦笑

9月27日

 まだ暗いうち、お寺の鐘の音に起こされました。時計は朝の5時でしたが、鐘は5個以上鳴っていたような気がします。境内へは自由に入れましたので、とりあえず本堂と大師堂の前で般若心経を唱えました。当然の事ですが納経所はまだ開いていません。横のベンチで二胡を拉いていますと、お参りの人が車で次々にやってきました。

 納経所で御朱印をいただき、45番札所岩屋寺までの道を聞きました。岩屋寺へ行った後46番札所浄瑠璃寺へ行くためにはいったんこの大宝寺まで戻ってこなければならない(打ちもどり)という事なので、ここに荷物を置かせてもらって、岩屋寺へ向けて出発しました。

 45番札所岩屋寺には御本尊の不動明王がまつってある岩室があります。中には数個の行灯があるものの、暗くてほとんど何も見えません。ペンライトは大宝寺に荷物と一緒に置いてきていました。天井から下がる行灯と岩壁をたよりに進むと、奥は少し広くなっているようです。
 お経をあげて納経所で御朱印をもらった後、岩室の中で二胡を拉かせてくれるようお願いしました。そこで四国でも楊興新のコンサートがあったというお話を聞きました。日本人で拉く人は珍しいのでは? プロではなくわたしみたいに愛好している人は多いでしょう。

 この岩屋寺は修業場でして、先の岩室や断崖の上、それと迫割行場(有料)などといった場所があり、二胡を拉いてみたい場所がたくさんあります。

 ガラスのカップに入ったロウソク(500円)をいただき、ビンに「神韵」と書きました。後で気がついたのですが、これって中国語ですね。中に入るとロウソクの明かりでさっきよりは見えます。手元を照すには十分です。しばらく拉いていました。よく響いて気分が良いです。「陽関三畳」を拉いているとき、ひとりのおじさんが入ってきました。最後まで拉き終わってから、外に出て少し話をしました。
 胡弓というと、どこだかで女の人が顔を隠して踊る(そうなんですか?)「おわらぶし」、、、それは日本ので、これは中国の本当は「二胡(erhu)」というのですが、通りがいいので胡弓と言っています。
 ヒゲのおじさんでしたが、わたしもしばらく路上生活をしていますので、無精ヒゲが生えていました。

 44番大宝寺に戻り、遍路道の本を買って荷物を受けとりました。今日はどうする? 先へ進むには時間がないよ、と納経所のおばちゃん。天気も悪くなってきたようなので、寝れる場所を探したいと思います。

 教えてもらった公園で、お弁当屋さんで買ったノリ弁を食べました。雨をよけられるような場所がありません。暗くなってから、やっぱり降りそうだと思い、さっき食べ物屋さんを探している時に見つけた(オクマさんの)大師堂の軒下に場所を移しました。